本当は悲しくて怖い『となりのトトロ』
 結構各所で話題になって都市伝説化してるので知ってる人も多いだろうが、まとめの意味を込めて書いてみようかな。というか純粋に面白い説だと思ったし。  まず『となりのトトロ

YANKUNさんのブログ記事

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本当は悲しくて怖い『となりのトトロ』

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 結構各所で話題になって都市伝説化してるので知ってる人も多いだろうが、まとめの意味を込めて書いてみようかな。というか純粋に面白い説だと思ったし。

 まず『となりのトトロ』はモデルになったと言われている事件がある。トトロの舞台となった所沢の隣町である狭山で昭和30年代に起きた"少女惨殺事件"である。
 行方不明になった少女が数日後にバラバラ死体として発見されたという話だが、この際姉が妹を探し回っていたり、片親の家族だったりと共通点も多い。
 何よりも、妹を探していた姉が放心状態で見つかり、警察の事情聴取にも「化け猫を見た」とか「大きな狸にあった」など、脈絡の無い答えが返ってくるばかりだったという。

 この事件はどちらかというと、犯人逮捕に焦った警察が、別件の小さな盗みで同じ頃逮捕された男性を、暴力的な取調べで強引に自白させた冤罪事件として有名になった(ちなみに冤罪の申し立ては門前払いされ続け、その男性は現在も名誉回復に至っていない)が、結局のところ真犯人が捕まる事は無く、唯一残った証言は被害者の姉の残した「化け猫」や「大きな狸」というキーワードだけであった。


 さてこの事件を念頭において『となりのトトロ』を見てみると、大分印象が変わるというか新しい解釈、新しい発見がある。

 まず"トトロは子供にだけ見える"という印象だがサツキの同級生であるカンタには見えないなどの矛盾がある。そこで登場したのは"トトロは妖精のようなものであるから、死に近い人間が見える"という事だ。
 死期の近づいた老人が、先に死んでしまった家族を見るなど良くある話である(大概はもうろくしたと片されるがね)

 つまりサツキとメイは、あの段階で死期が近づいていたのである。
 結論から言うとメイは母親に会うために1人で病院に向かう最中に死んでしまったのである。村の人たちの捜索で沼でサンダルが発見され、サツキは「メイのじゃない」と否定するが、実はあの段階でメイは既に水死していて、現実を認めたくないサツキがひきつった顔で「メイのじゃない」と言って走り去ってしまうという流れである。

 そして森の精霊であるトトロにすがり「メイがいなくなっちゃったの! お願い、メイに会わせて! きっとあの子、1人で泣いてるわ!」と言って、サツキは妹に会うため"自らの命を捨てる選択をする"

 そう猫バスとはこの世とあの世を結ぶ乗り物なのだ。物語中盤で登場した猫バスに、サツキが乗る事を恐れた理由も、ただ単に異様であるというだけでなく、「乗ってしまったらもう戻れない」と本能的に感じ取ったからであろう。
 その辺は、「凄い、木が避けてる!」や「みんなには見えないんだ…」のセリフからも、猫バスが実体の無い虚無の存在であると伺える。

 そして重要な証拠としてよく挙げられるのは、沼でサンダルが発見されたシーン以降、"作画からメイの影が無くなっている"のである。作画レベル世界一と言われるジブリがミスをするとも思えないし、何よりも「以降全て無い」というのは明らかに不自然である。
 そして自分が死んだ事に気づかずにさ迷っていたメイの元に、冥界の乗り物である猫バスとともにサツキが迎えに来て、姉妹は再会する。

 そうしてサツキとメイは母親の入院する病院を訪ね、メイが渡したかったトウモロコシを渡すのだが、このシーンでも不自然なポイントが2つ。
 何故サツキとメイは、お母さんに直接会って渡さなかったのだろうか?
 そして何故、病室の窓の外目の前の木に座っていた2人を、両親は見えなかったのか?

 ………ふと風が通り過ぎ、両親が窓の外を見ると、「おかあさんへ」と書かれた紙と共にトウモロコシが置いてあり、母親がふと窓の外の木を見つめ(絵では目の前に座っている)、「今…サツキとメイが笑ったきがしたわ」

 もうここまで来ると反論の余地が無い。


 そして更に悲劇としては、母親の入院している七国山病院というのは、八国山病院という実際にあった病院がモデルなのだが、その病院は"不治の病の末期患者や、精神疾患者を半ば強制的に収容していた病院"だったそうだ。明らかにお母さんの方も先は長くない…。

 映画はその病室のシーンでエンディングを迎えるが、その後に父親が知る事実と悲しみを考えればあそこで終幕なのがベストだろう。

 エンディングと共に流れるハッピーエンド風味の映像…「サツキとメイが家に帰ってきて、おばあちゃんと再会し抱き合う」、「お母さんの病状も回復して家に帰ってくる」、「そして家族4人で幸せに暮らす」
 この流れを加味すると、このエンディングは全てが終わってしまった後、1人残されてしまったお父さん(作家)が、こうだったらよかったと想像する「最良の可能性」だったのであろう。



 とは言えこの説、多くの物証と共に有力だと常々言われてきたが、宮崎駿本人は公式で否定しているので、この説が真実と押しつけるモンでもないが、こう言った見方をすると、何度も見返した作品であるが新鮮な気持ちで見る事が出来る。というか同時上映だった『蛍の墓』に匹敵するほど泣けてくる…。


 しかし否定はしたものの、もしこの説が真実だった場合、それを温かいファンタジーで包み隠してしまう宮崎駿は天才だと思う…。「あんたにかかれば、アウシュビッツすら夢の城かも…」
  • │2007-06-05 19:40:34│ カテゴリー:日記│ コメント(24)
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