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まぁ部屋の掃除も終わり、大量のVHSを整理していた中、1998年11月に世を去った淀川さんの最後の解説を録画したものが出てきた。
物心付く前から映画が好きで、TV放送の中でも21時から放送する映画ってのは自分にとって特別な時間だった。そんな特別な時間に招待してくれる人…。自分にとってはサンタクロースに等しい人だった。
淀川さんが亡くなった'98年の11月、自分は14歳の中学生。進路という…自分の人生の指針を決める時であり、「映画の道に進もう」と具体的に考え始めたそんな最中であった。
会った事が無い人の死で涙を堪えられなかったのは、多分後にも先にもあれが初めてでは無いか…。
彼の死から、TVで放送する映画から、映画解説というものがどんどん消えていった。今では解説の枠が見られない。俺がTVを見なくなった要因のひとつは間違いなくそこにもあるだろうな。
中学卒業から高校にかけて、彼の人生についてのドキュメンタリー(これも録画してあった)や、彼の自伝などを読み、彼の人生、彼の言葉は、揺れ動いていた俺の心に突き刺さり、俺の生き方に影響を与えた。
今では「尊敬する人物は?」と訊かれたら、「淀川長治さんです」と即答するようになっている。
そんな彼の言葉を少し紹介しよう。
*****
「幼い頃の私は遊びに夢中。その全ては活動写真に結びついていた。
フィルム集め、スターの似顔絵描き…学校の勉強などした覚えが無い。
映画館が学校、作品が先生、私は映画に救われた…」
「三本立ての上映が跳ねると、蛍の光が演奏され、観客の居なくなった劇場にラムネの瓶が転がる。
この音を耳にした途端、現実に引き戻され、身に染み込む様な寂しさを味わった…」
「基本的に決め付けられる事が嫌いだった。三度の飯を朝昼晩と決まった時間に食べるのも駄目。履歴書からの逃亡かもしれない。
このような人間はまともに生きられないと思い、映画一本槍で生きる事にした。もちろん貧乏覚悟、嫁さん子供も持たぬ事も覚悟。ただもう映画にしがみつこう…」
「私が生まれる前、淀川家には一人娘が居て、ここに婿養子に来たのが父・又七でした。
この淀川家の娘が結婚して1ヶ月もしない内に肺病で寝付いてしまった。そして4年経ち、5年経ち、子供はありませんでした。
そこで遠い親戚にあたる、まだ18歳の娘に因果を含めて後添にした。その娘こそが私の母でした。
18歳の時、48歳の父に仕えて、子供を生んで、8年目にようやく男の私が生まれた。
私が言葉を喋りはじめた頃、父は60歳、母は30歳…。
「こんな綺麗なお母さんが、なんでこんなおじいちゃんと一緒になったんやろ?」
そんな疑問が幼い私の心にいつもありました。
けど、やがて母が、淀川家という"家"を守るために、命令ずくで父と結婚させられていた事が分かりました。結局は跡取りの私を作るため、母の一生は犠牲になったんです。
そう思うと、淀川家というものに憎悪を覚えてきました。
「よーし、お母さんをこんな目に合わせた淀川家を潰してやろう。嫁さんも貰わない、子供も作らない、それを一生貫こう・・・」
それが15歳の時でした。
とは言え、恋愛もたくさんしました。お見合いもしました。でも詰まる所、母を守り抜きたくて、母が命となって、とうとう嫁さん貰いませんでした…。
そして晩年の今、私は長男ですから、私が死ねば淀川家の本流は消えてなくなります。
とうとう淀川家に復讐しました…」
「しかし母を亡くし1人になった今、不思議と父の事も理解できるようになりました。
淀川家のために30歳も年下の娘をもらわなければならなかった父も可哀相やったなぁ、そう思えるようになりました。
晩年、息子の家で小さくなっていた父の気持ちが、今ならいじらしくよく分かる」
『他人歓迎』
『私はいまだかつて嫌いな人に出会った事が無い』
『苦労よ来い』
「なかなか人を好きになれない性格だから…。でもこっちが好きになれないと思っていると、それが必ず相手に伝わってしまう。
そんな時、このスローガンを唱えると、どんな嫌な人でも、一生懸命探せば必ず好きなところが見つかる…」
『私はきっともうすぐ死ぬでしょう(笑)』
「どうしてこんな事を言うのか。暗い気持ちになるんじゃないかと思われるかもしれません。
でも反対です。
明日死ぬ、本気でそう思った時、今日という日がどんなに輝いて見えるか」
「子供の頃の望みどおり、今では毎日毎日好きな映画を観られます。
けれども、いつまでも観ていられるわけではありません。
人生もいつか「跳ね」てしまうからです。
そろそろ、人生の終わりを告げる蛍の光とガラス玉の音が聞こえてきそうです…」
「私はもうこの歳で死が迫ってきている。死ぬ事をよく夢に見る。振り返って嬉しい事ばかり思い出される。
嘘だよ、悲しい事いっぱいだよ、そうも思う。けれど、悲しい事を忘れるほど、嬉しい事がいっぱいで今日まで生きてきた。
人生は何か、人間の使命は何か、…そんな難しい事を考えなくても、互いにうれしかったなぁと言い合える社会が一番幸せ…」
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画像はそれぞれ、1枚目はドキュメンタリー番組から「淀川さん(26歳)とチャップリン(46歳)の出会い」
2枚目は淀川さんが発足した映画教室"映画友の会"(1948~1987)の発足時の記念写真。
3枚目は'98年11月に放映された淀川さん最後の解説(『ラストマン・スタンディング』)